「おはよう、春香さん。今日の空は、どんな色?」
「はい、白鳥が飛び立った後の、澄んだ湖のような青です」
「まあ素敵」
視力を失った瑠璃子さんのお世話をするようになって、もうすぐ1年。
初めて会ったとき、瑠璃子さんは私に言った。
「春香さん、私が最後に見た空は、どんな色だったと思う?」
「さあ、その日のお天気にもよりますので」
「絶望の色よ」
「じゃあ、黒……とか?」
瑠璃子さんは、穏やかに笑いながら言った。
「あなたの想像力は壊滅的ね」
それから私は、空を毎日眺めた。朝昼晩、そして深夜。
同じじゃない。晴れも雨も曇りも雪も、ひとつの色では語れないことを知った。
「瞼が閉じてしまうのを必死で抑えなければならないような、重い灰色です」
「カラスの黒がより引き立つような、濃い朱色です」
瑠璃子さんが「まあ素敵」と言ってくれると、私は心から嬉しい。
桜がつぼみ始めた3月、お部屋に行くと、瑠璃子さんは窓辺で空を見ていた。
一瞬見えるのかと思うほど、じっと見ている。
「瑠璃子さん、おはようございます」
「おはよう、春香さん」
「今日の空は……」
「まって、春香さん。その前にお話があるの」
「何でしょう」
「春香さん、今日までありがとう。明日からはもう、来なくていいのよ」
「えっ」
もともと1年契約だった。てっきり更新してくれるとばかり思っていたのにショックだ。
「あの、至らない点がありましたか?」
「まさか。あなたはとても良くしてくれたわ。実は私、施設にお世話になることにしたの」
「まあ、いつからですか?」
「明日迎えが来るわ。足もだいぶ弱ってきてね、この家で暮らすのはもう無理なのよ」
確かに、通いの介護では限界がある。仕方のないことだ。
瑠璃子さんは、私の手を包むように握った。
「春香さんとの時間、楽しかったわ」
「こちらこそ。楽しかったです」
「ねえ、今の空はどんな色?」
私は、空を見上げた。今にも雨が降りそうな曇り空。
涙が溢れて、かすんで見える。
「そうですね。うっかり墨を垂らしてしまった水墨画みたいに、滲んでいます」
「あら、私が最後に見た空と同じね」
「そうですか。でも、絶望の色じゃない。だって生きていれば、また会えるじゃないですか、私たち」
ふたりで並んで空を見上げた。目をつぶって想像する。
瑠璃子さんが想い描く空を、私も見ている。


※もぐらさんの呼びかけで、3月20日は「空見の日」
お空に行っちゃった人を思いながら、空を見ます。
ここは、十数年前に父と母の金婚式のお祝いをした場所。
懐かしいな。父も空から見ているかしら^^

河津桜越しの青空。少し寒いけど、いい空でした。
もぐらさんの空見はこちら↓
http://koedasu.cocolog-nifty.com/blog/

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